ジムに通い始めました

久しぶりの投稿。

過去の投稿を見返して、すごくためになったので、投稿再開。

 

2ヶ月ほど前からジムに通い始めました。

さすがに3年間身体のために何もしてなかったので、

ここらで少し鍛えることにします。

 

トレーニングメニューはこんなん。

・3〜5kmのランニング

・ショルダープレス

・ベンチプレス

・シーテッドロー

・吊り下げ腹筋

・コロコロ腹筋

体幹

 

下半身は月一でフットサルがあるし、

そんなにごりごりにしたくないので、

メニューには入れず。

 

トレーニングメニューと合わせて、

タンパク質は意識して摂るようにしてるが、

いつものスモークささみを探していたら、

こんな商品を見つけたので買ってみた。

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 たんは

 

人生の灯火

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すっかりご無沙汰ブログ。

久々のブログは、
この間参加したセミナーで登壇社が言っていた言葉について。


その言葉がこちら。


「自分の人生の灯火が一本一本毎日消えている事を自覚して、毎日過ごせ」

一日一日を大事にしましょうというのは、
誰しもどこかで言われた、
もしくは聞いた言葉だと思うんですが、
この言葉も意味したいのは同じですね。

ただ、「大事にする」というだけじゃ、
なかなかイメージできない。
 ※余談ですが、自分はこのイメージできるかどうかが、記憶力や行動力を左右すると思っています。

そこで今回の言葉は、
目の前にずらーっと並んだ
ロウソクか何かで燃えている自分の1日が、
その日の終わりに消えているイメージが湧きます。

僕はこの燃えている自分の1日が、
勝手に消えるのを放っておくのではなく、

「今日も充実した1日だった」
「明日も、あれとこれをやろう」

と1日を思い返し、明日に期待しながら
燃えている今日の灯火を自ら消していきたい。

この自分で灯火を消すということが、
自分の人生を生きるということなのではないか、
そう思います。

下の世代に路をつくる

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年明けて早1ヶ月。

すごく充実しているなと、
心底思う。

平日、休日問わず、
どの時間も大切にできている。

一つ一つの経験から、
必ず学び取り、次に生かそうと、
そう時間を過ごす事ができている。

そんな日常でふと思ったのが、
タイトルの、

   下の世代に路をつくる

自分が将来やりたい事とか、
どこに向かって今を頑張るのか、
色々模索していて、

あるマンガを読んで、
街で見かけた少女を見て、
深夜のまん丸な月を見て、
ある音楽を聴いて、
ある人の話を聞いて、
人ってこんなもんかと思って、
自分の欲が何で、

誰のものでもない、
自分の日常の中で色々感じて出た、
生涯自分がやり続けたいと思う事。

今までも似たような事を思ってたけど、
上手く文章にできたのは、
これが始めてかも。

思い付いたのがたった今で、
なるべく全てを記しておきたいと思ったから、
メモ。

合言葉は知覚動考

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今回は仕事について。

先輩に仕事のコツについて教えてもらったのでメモ程度にあっぷ。

  1. 仕事するタイミング
  2. ゼロから始めんでいい仕事
  3. 成果へのプロセス
1つ目。

仕事をするタイミング。


これは1日の中でやる仕事を、
「どこで、何を、どう考えて実行するのか」を
抑えて進めるというもの。

具体的には、
「移動時間に、御礼メールを、フォーマット使って書いてしまおう」など。

それぞれの仕事をベストなタイミングで、
最適なタイミングで実行するというもの。

2つ目。

ゼロから始めんでいい仕事。


これはほぼ全ての仕事は、
   過去誰かが一度やった事のある仕事である
という前提に立って言っている事。

過去誰かがやった仕事をそのまま引用してくれば、
全ての仕事を自分0から組み立てる必要はなく、
4から始められる仕事、
7から始められる仕事もあるのだという話。

3つ目。

成果へのプロセス。


これは自分が設定した成果に対して、
その道筋を描いて、
その道筋通りに順を追って(=プロセスを踏んで)、
一つ一つ実行していきましょうというもの。

仮にその描いた道筋通りに進んだ結果、
成果が勝ち取れれば良いでしょう。

ただもし成果を勝ち取れなくても、
自分で描いた道筋を踏んでいれば、
それが次に繋がる自信になります。

さらに道筋を辿っているならば、
それは必ず自身の成長に結びつくのだと。

要はプロセスを経て得られる、
成果と成果は分けて考えるべきなのだと。

ここまでが今日の学びメモ。

これと合わせて最近仕事を通じて気付いたのが、
自分て結構不器用

この事実と今日の学びで結論出てきたのが、
何か一つに絞って、知覚動考。

無駄に式にすると、
自分不器用 × 本日の学び
=何か一つに絞って、知覚動考

この「知覚動考」も別の先輩から教えてもらった事。
何事も学んだ後にどうするかが大切だけど、
意外と一歩が踏み出せない。

だからこの順番。
知って、覚えて、動いて、考える

この順番の頭を取って知覚動考。

ーーーーー読み方は?

とも かく うご こう!!
  知     覚     動     考

今日から実行。
合言葉は………知覚動考!

通勤電車内にみる決断力


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最近投稿滞っておりました。
自分としては
予定通り無理せず書けているので良し。

今回は通勤電車内での話。

朝の通勤電車内は戦争だ。
誰もが一目散に空いた席目掛けてダッシュする。

そんな朝から忙しなく、
余裕がない感が個人的には嫌なのだが、
そうは言っても1時間以上かかる通勤は
やっぱり座りたい。。。

そこで考える。

如何にして座るのか。

今回はまず、必要なスキル第一弾をご紹介する。

それは、決断力である。

こんな事はないだろうか…

「この人そろそろ降りそうだから、
    この人の前に立っていよう。」

「あれでも無理かも、別の人の前にしよう。」

これは自分が最初に決断したことへの、
迷いから生じるものだ。

この迷いは禁物である。

結局自分の何かしらの理由があって立てた
仮説(この人はそろそろ降りそう)に対して、
最後まで検証仕切ることなく、
実行を取り止めてしまうためだ。

仮に座っている全ての人の前が
埋まっている状態であれば時には割り切って、
第二ポイント(ドア付近で寄りかかれる場所)で
我慢するのもありである。


この電車乗車のタイミングで、

行くのか、引くのか

を一瞬で判断する事が、

如何にして座るのか

の第一歩となるのである。

できること、できないこと

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最近お世話になっている方が、
シェアされていた記事を読んで、
仕事を始めて少し自分の中で変わってきたな、
と思うことがある。

それは自分ができることと、
できない事の明確化だ。

今までの学生生活では、
なんとなくここは誤魔化せていたのだが、
クライアント様の利益に関わるとなると、
なんとなくで済ます訳にはいかない。

そのために、何か行動する前に、
「自分はこれができるのか、できないのか」
という判断を無意識にしている気がする。

そしてできない事に関しては、
とにかく周りに聞きまくる。
自分で調べれば分かりそうな事は
もちろん自分で調べた上でだか、
基本は聞きまくる。

こんな形で、できるできないの判断をし、
できない事は恥じることなく聞き、
理解し、できるようになっていく。

このできない事に関しての後ろめたさは
この先も動けば動いた分だけ、
味わう事になるのだろうが、
今日のシェアされた記事を読んで、 
ふむふむなるほどと思ったので、

“できない自分を恥じる事なく、
できるようになるまで努力できる人”
そんな人に、僕はなる。

シェアされていた記事はこちら
700年前の『徒然草』を現代語訳したら…現代人にも突き刺さるいい話だった         http://grapee.jp/112261

組み合わせ

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絵を描くのは得意じゃない。
何をどこから描き始めればいいのか、
濃淡、影の付け方、角度はどうしたらいいのか
美術の時間は先生に如何に描かせるか、考えた程だ。

一方で、
何か創作するという意味では、
レゴブロックが好きだ。
これは絵を描くのに比べ、得意な方だ。

一つの作品を創作という意味では
同類のこの二つは何が違うのか。
どこに差があるから自分の得意・不得意が
分かれるのか。

その理由の一つは、
パーツの有り無しだと思う。
もちろん面で表現するのか、
立体で表現するのかにも違いはあるが、

絵を描く時は見たもの、想像したものを
ペンを使って創作していく。

レゴブロックの場合は
一つ一つのパーツを組み合わせて、
創作していく。

自分はこの既に存在するパーツ(素材)を、
如何に組み合わせ、創作していくのか、
ここが得意だと自負している。

得意であるが故に好きな事であり、
本来ならばその使い方はしないようなものを、
何かをこうしたいという目的のために
新しい使い方・組み合わせを考え、
生み出すことが楽しいと感じる。

上記が頭の中で業を起こすことと結び付いて、
この項を書き始めたのだが、

いま世の中にある様々なサービスも、
この通常なら組み合わせる発想のないものを、
ある課題に対する打ち手を考える上で
生まれてきたものなのだと思う。

それが見る人によっては、
新しい価値・サービスとして受け取られるのか。